イメージを生きる身体を体験する
北本福美(心理臨床オフィス・プシケ)
このワークショップでは、「からだ」をキーワードに、体験を深める時間をご一緒しました。
まず、「からだ」って?「こころ」って?と質問を投げ掛けさせていただきました。
「体」と言いたい時と、「身体」と言いたい時、「からだ」と言いたい時とでは、ニュアンスは異なっては来ないでしょうか?生々しさや客体視感には違いが感じられないでしょうか?亡くなった人を死体と呼ぶのか、亡骸と呼ぶのかで違いはないでしょうか?亡骸の「がら」は殻に通じ、「殻だ」と呼んでみて、殻の中の空っぽ感がそこには存在しないでしょうか?あるいは、Body-Mind-Soul(人間の本質に根差した根底的アイデンティティ)/Spirit(肉体を超えた精神・魂)と並記した時のBodyって、何なのでしょうか?
では、「こころ」とは。心身(身心)一如という言葉がありますが、分離したものを再度重ね合わせ一つであるという互換性を疑いなく受け入れて良いのでしょうか?Psyche は心・精神と訳されます。ヒラヒラした掴みようのない存在を平安の人がてふてふ(蝶)になぞらえた伝統と繋げるなら、洋の東西で類似した体験が持たれていたのでしょうか?「あなたに心はありますか?」と聞かれたらYESと答えられたとしても、「それはどこにありますか?」と聞かれたら、心臓を指す人、脳を指す人、自分の全体を指す人と答えは多様になって行くことでしょう。では、「それを見たことはありますか?」と聞かれたらなら、手を挙げることに躊躇いが生じるでしょう。同様に、こころをくだく、こころをむける、こころをよせる…日本語には様々なからだ表現がありますが、こんなにも実感しうる存在を、あなたはどう感じているのでしょう?
そして、イメージとは。一般的に心理学が扱うイメージは、【メンタルイメージ】と呼ばれます。ナラティブな特徴を持ち、元々の出来事が抽象化されたもので、自然科学=誰にとっても同じ事実を扱って(例えば、夢の解釈)います。しかし、この種のイメージには、自我の支配が生じます。それとは別に、ロバート・ボスナックが提唱する【体現的イマジネーション®】と呼ばれるイメージ世界があります。現象学的態度で臨む、経験科学に基づくイメージです。個別性があり、意味を求めない、解釈しない、反応する「からだ」を体験することが主体となるイメージです。(このイメージは、「体現的ドリームワーク®」というアプローチでセッションされています)今回は、このイメージに近づく時間を持ちたいと企画し、自我を解き放つことを入り口として、イメージを生きる身体を通して知る世界へと足を踏み入れるワークを幾つか体験していただきました。キーワードは、①良質な音と静寂・浄化された耳・聴き取り、②<調身><調息><調心>、③イマジネーションへのダイビング(正直であるコト)です。これに続く機会をまた提供できればと考えています。
