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子飼コミュニティ音楽療法

木村 博子(熊本コミュニティ音楽療法研究会)

 「子飼(こかい)」という少し珍しい名称は、熊本市中央区にある地名です。かつては「熊本市民の台所」として賑わった子飼商店街を中心に、下町の風情を残した活気ある地域でしたが、近年は高齢化が進み、住民の移動や土地開発に伴い、コミュニティ感覚の希薄化が問題となっています。私が勤務した熊本大学はこの隣町にあり、当時、商店街内の空き店舗を借り上げて、地域振興の拠点とする複数のプロジェクトを立ち上げていました。スティーゲやアンスデルのコミュニティ音楽療法について研究していた私は、「芸術学実習」という授業の一環として、そこで地域の人たちが気軽に立ち寄れる「歌カフェ」のようなコミュニティ音楽療法を実践する事を思い立ちました。2006年のことです。
 

 高齢になって出かけるのが億劫になっても、2、3日に1回は買い物に出かけます。その「ついでに」、歌でも歌って、色々な人と話をして気分を晴らすと孤立防止や健康増進に資するのではないかと考えました。学生たちを巻き込んだのは、彼らに音楽と社会について実践を通して考えて欲しかったからです。高齢社会に向けて、異世代間交流の必要性も感じていました。かつて地域の誇りだった「五高生」は、今やゴミ出しルールは守らない、自転車はすっ飛ばす、の近所迷惑な熊大生になってしまっており、双方の交流はほとんどありませんでした。
いざ、会(コミュニティ音楽療法)を始めてみると、最初に来られたのは1〜2名でした。そのうち6〜7名に増え、20人を越すようになって部屋に入りきれないほどになりました。私は気が向かれた方が来られればいいというスタンスでしたが、学生たちは道ゆく人たちに声をかけ、ビラを配って積極的に勧誘し、来られた方とは楽しげに話をしていました。授業で見る彼らとは別人のようでした。

 

 当初は、対象者としては独居もしくは夫婦2人世帯で、自立生活は可能だが、地域の中で孤立しがちな高齢者を想定していましたが、高齢者の問題を高齢者だけで考えていても始まらないので、どなたでもどうぞ、としたところ、赤ちゃんを抱えた若いお母さんから、90歳まで色々な年代の方が来られました。考えてみれば、育児も現代では孤独な作業ですし、一人暮らしの寂しさは若者も一緒です。
 

 会では、懐メロや童謡唱歌を中心に、リクエスト優先で歌うのですが、スタッフが歌にまつわる知識を「本で調べて」披瀝していると、参加者の方々は自らの体験を話されたり、新聞社や地域の人に尋ねて情報提供をして下さるなど、「生きた知識」を提供してくれました。オリジナルの歌集を作成して下さる方や、得意の手芸で皆さんを和ませる方、また施設での音楽活動のボランティア(歌詞の配布など)を始める方など、さまざまな活動が会の中から立ち現れました。毎回、どなたかが持参される庭の切り花を飾った机で行う事後ミーティングでは、スタッフ(音楽療法士2名と学生7〜8名)の間で、高齢者の潜在的な文化力が話題になり、これをどう社会にアピールしていくかを議論していました。
 

 歌に関しては「上手にならなくていいんですよ」と言っていたにもかかわらず、どんどん声量は上がり表現力もついてきたので、コンサートをしようということになりました。最初は「人前に出るなんて恥ずかしい」と引き気味だった方も、回を重ねるごとに積極的になられ、単に歌うだけでなく「何かを伝える」姿勢が顕著に出てきました。全体の企画は学生が考え、参加者の合唱のほかに、ゲスト音楽家やオリジナルな音楽劇など、地域のリソースを生かした形がとられました。
 

 コンサートは、一般にはステージ上のアーティストの演奏を客席の聴衆が聴く、というスタイルです。アーティストが発する音楽上のメッセージを個人である聴衆が受け取り、そこに生まれる共感や感動を本質とします。いわば個人療法的な世界だといえましょう。一方、コンサートには、ライブに見られるように、アーティストと聴衆を一体化させる社会的な力があります。これは悪用されるととんでもないことになりますが、この「生の」力こそ、人に元気を与え、慰め、生きる希望を与えるものです。単に技術の完成度や美的性質を愛でるのではなく、そこに社会を変え、支える力を見出していくことで、コンサートは社会的な「療法」になり得ると考えます。そして、音楽活動全般―聴取、作曲、演奏、教育―に療法的な性質が在ることに気づき、その療法性を磨いていくことで、社会はもっと良くなるのではないでしょうか。
 

 すでに子飼コミュニティ音楽療法を初めてから20年近い年月が流れました。今回の発表でその記録を見返していて、結局、高齢者という「他者」の文化的復権のために頑張ってきたつもりが、逆に育ててもらっていたのだと思い至りました。高齢になった筆者自身の感覚として、その時々の皆さんの心身の状態が今ならよくわかります。護っているつもりが護られていた-お釈迦様の掌の中で奮闘してきた孫悟空よろしく、ちょっとした脱力感を感じつつも、幸福感と感謝に満たされるこの頃です。
 

 

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