基調講演
パラダイムチェンジャーとしての芸術療法
齋藤考由 (日本臨床音楽療法学会理事長)
講演は、『生まれ来る子供達のために』(小田和正, 1980) の弾き語りからはじめました。今回のお話の内容を象徴的にあらわした楽曲だと考えての選曲でした。
「生まれ来る子供達のために」、今、私たちは何を語れば良いのだろう? という問いかけです。この曲ができた1980年は、私はまだ医学部の学生で、福岡県のある精神科病院で患者さんたちのための「音楽の先生」をはじめた年でした。以来はや45年が経過しました。
今回のお話しの目次として、
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大きな物語(grand narrative)の終焉
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地球科学的に、一千年に一度の大変革期
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生-政治(bio-politics)によるパノプティコン
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アジール[Asyl] としての芸術(療法)の場・・・私たちの小さな物語の提案
を挙げました。
1.「大きな物語」の「後」を私たちは生きている
大きな物語(grand narrative)の終焉 上記した私の音楽療法の原点である昭和55(1980) 年の前年、リオタールが「ポスト・モダン」の条件という本の中で、大きな物語(grand narrative)の終焉ということを述べました。近代のパラダイムは、もう意味をなくしたのだというのです。しかしながら、現実の世の中はいまだに「グローバル資本主義経済」の中にいて、世界の指導者たちは「SDGs」などと「経済中心主義的な施策」を追求し続けています。今なお 世界中で、すでに終わったはずのパラダイムのもとに社会が動いているのです。そこでは、生徒・患者は「顧客」であり、教育・治療が「商品」として扱われています。文科省自身が「教育はビジネス」と考えています。つまり公教育では公然と、教育内容は「商品」で、その象徴が「シラバス」です。講義の内容が「商品の仕様書」のように前もって提示され、売り手としての教官は、顧客である学生から事後的に細々と「評価」されるシステムになっています。ちゃんとした商品が提供されたか、ユーザーがチェックするわけです。はたして教官自身があらかじめ知っていることを予定通りに提供することをもって、真の「教育」と呼んで良いものでしょうか。芸術(療法)もまた「商品」とならないためにはどうしたら良いのでしょう。今後、その「資格化」を目指すとしたら、芸術(療法)もまた商品化へと向かう危険性を孕んでいることに留意しておく必要があります。
臨床現場においては、ここ20年ほどでしょうか、「今どきの・・・」と診断の最初につけたくなる、普遍症候群(中井)の概念では整理・理解が難しい「生きにくさ」を訴える人々が増えて来ました。「未病」者の受診と言っても良いかもしれません。「治療とは、それぞれのために心をこめて、そのひとだけの一品料理を作ろうとすることである」と彼が述べた(中井久夫, 治療文化論---精神医学的再構築の試み, 岩波書店同時代ライブラリー,1990)ように、『ヨーロッパの文化依存症候群』としての普遍病名を基準にして臨床を行うことは、今後一層困難を増すと考えられます。悩む人個人の問題としてではなく、環界との関係性の中に「障害」を見る、熊谷・國分の指摘 (<<責任>>の生成, 國分功一郎と熊谷晋一郎, 新曜社,2020)は重要だと思われます。彼らは、目の前にいる「人」の生きにくさ=障害は、Impairment なのかdisabilityなのかと問うているのです。
2. 地球科学的に一千年に一度の大変革期
ここで、一旦視点を転じます。宇宙論的視点からは、プランク衛星(2009打ち上げ)による観測の結果(高精度な宇宙背景放射[CBR]マップ,2013年)宇宙年齢は138億年、また、宇宙の物質・エネルギーの組成は、ダークエネルギー68.3%、ダークマター26.8%、バリオン(いわゆる物質)4.9%であることがわかりました。つまり、ほとんどの宇宙は見えない「なにか」でできているというわけです。地球の年齢が43億年、生命誕生から38億年、その中で人類種はたかだか数十万年の歴史しか持たず、現生人類の「文明」たるやどんなに遡っても1万年程度(ギョベクリ・テペ遺跡など)です。その間、何度も危機的状況に見舞われましたが、今、日本列島は、関東大震災[1923] から100年余りたち、東京直下地震としての陸の地震、宝永大噴火[1707]から 300年余経つ富士山など20以上の火山も噴火スタンバイ状態にあり、何より西日本大震災(南海トラフ) という海の地震が2030-40年には確実に発生し、その災害規模は、2011年の東日本大震災の10倍以上 (6千万人被災)と言われています。これらが今後100年は続くのです。蒲田浩毅がかねてから指摘しているように、今、日本は地球科学的に千年に一度の大変革期を迎えています。私たちは、この地球的規模の運命から逃れることはできないわけで、どのようにその時に備えれば良いのでしょうか。天災と日本のあり方との関連性については、養老孟司も地震変革論として述べています。平安時代の文字通りの平安な日々が1185年の文治地震 (M7.4)で終わり、鎌倉時代(1185)から戦国時代の争いの日々に続いて、江戸時代の安寧は1854年の安政の大地震 (M8.4) [Cf.黒船来航1853年]を機に幕末を迎え、明治維新から大正の平穏は1923年の関東大震災(M7.9)をきっかけに戦時体制へと移行していると彼は言います。さて、その後のいわゆる「戦後」は本当に平和な時代なのでしょうか。明治維新(1868)から、まもなく160年が経とうとしていますが、前半80年は戦いの日々でした。「日露戦争(1904-5)から太平洋戦争終結(1945)までは、辺境人としての日本人が自らの特性を忘れた特異な時期だった」と内田樹は述べています(日本辺境論,新潮新書,2009)ところで、後半の80年は 真に平安な日々なのでしょうか。地球規模では、冷戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争、ソ連・アフガン戦争、数次の中東戦争、イスラエルとガザ地区の紛争、ロシアのウクライナ侵攻等々と、争いの絶えることなく継続しています。そして、歴史は繰り返さないが韻を踏むと言うように「今」も何かの前夜ではないかと危惧されます。半藤一利は「語り継ぐこの国のかたち」(だいわ文庫,2021)の中で、この国は40年おきに「滅び」ているとし、次の区切りはバブルが崩壊した1992年から数えると2032年になると憂いつつこの世を去りました。必発の大災害の後の日本は、どのように生きていくのか。これが、経済の立て直しなどよりも実は喫緊の課題であるはずなのです。平田オリザは、「芸術立国論」(集英社新書, 2016)の中で、右肩さがりの文明論を展開し、「実は日本は世界に先駆けて、文明の頂点を極めた国である」と位置付け、今後は、「下り坂をそろそろと下る」 ことを「是」として、生き方を考える必要があると主張しました。
3. 生-政治(bio-politics)によるパノプティコン
M.フーコー(1926-1984)は彼の生-政治学(bio-politics)の論の中で、パノプティコンの住民は、常に監視されていることを意識するために「自ずから」規律化され従順な身体を形成する(監視者は住民から不可視)と述べました。その社会で暮らす人々は、国が用意した「枠組み」の中にいることが「正しい」ことであり、それから外れることは端的に「過ち」であり、社会からの落ちこぼれだと自ら判断するようになると書いています。パノプティコン(panopticon)とは、功利主義者ジェレミー・ベンサム(1748-1832 )が「最大多数の最大幸福」を目指す視点から、監獄のモデルとして提案した建築物です。フーコーはこれを転用し、管理・統制された社会システムの比喩して用い、1975年に「殺されに行きなさい。そうすれば幸せな人生を保障しよう。」と述べました(監獄の誕生 監視と処罰<新装版>,新潮社,2020) 。
今、マイナンバーは デジタル・パノプティコンとして機能しており、現代社会は地球規模でパノプティコン化しているように感じられます。社会の「枠からはみだす人」は「障害者」、うまくやれないと「落ちこぼれ」や「負け組」と判断されるため、人々はそうならないように日々努力する。しかしそれが叶わないと自分に非がある(自己責任)とその枠組みの方を「普通」と理解し「落ち込み」自ら「受診」し精神医療のユーザーとなる。結果、「ストレス社会でうつ病が増えた」と報道される。先に述べたようにその「障害」とは Impairment なのでしょうか disability でしょうか。また、武道家の光岡秀稔は、「私」が 数字(my number)として処理される現状を『私はこれを人間の産業化として捉えています。産業革命以降の企画品を求めるような動きの中で生じた身体観がもたらした精神と心理の変質ではないかと思っています。 』『企画品の製造に欠かせないのは、「同じように・きちんと・早く」することです。基準はあくまでも外部にあって、それに自分を合わせていきます。その基準にかなえば「能力がある」と評価されます。』と述べました。 (生存教室, 光岡秀稔, 集英社新書, 2016, p75)
4. アジール[Asyl] としての芸術(療法)の場・・・私たちの小さな物語の提案
さて、今回「これからの芸術療法を考える会」の活動を開始するにあたって、筆者が「こうでありたい」と願うことは、今、治療の場 や 研究室を超えて「生-政治」の管理・統制により奪われようとしている 「活き活きと生きること」を回復すること、つまりはAsylとして芸術療法を位置付けることにあります。以前に、別の集まりの会誌に『「治療の枠組み」を超えた芸術(療法)活動展開の可能性へ』と題して寄稿した内容です (齋藤, 西日本芸術療法学会誌, No.51, P7, 2023)。アジール【Asyl】(独)とは歴史的・社会的概念で、教会、寺社など「聖域」「自由領域」「無縁所」などの特殊なエリア、例えば「治外法権」のように時の統治権力が及ばない場を指します。アジールとしての場には、踊り念仏(空也、一遍)、一向一揆、ええじゃないか、無礼講、盆踊り、歌垣、婆娑羅(バサラ) としてパンク・ロックに通じる派手な出立ちや反権力の振る舞い、傾奇者(かぶきもの) としての出雲阿国から歌舞伎へ、縁切り寺 (東慶寺、満徳寺) 、下ってはヤマンバ、ギャル、タトゥー、コスプレなどなどが挙げられます。これらは、ニーチェがデュオニュソス的な芸術・芸能と述べた系譜に列するのかもしれません。この流れを汲む「芸術(療法)」のこれからとはどのようなものになるのでしょうか。現代のアジールとしての芸術(療法)のイメージとしては『当事者が、世の中の価値判断からはなれて、気ままに自由にふるまう「自助活動」を支える』『「評価」されないで、ただ「居ること」も選択できる [場]であり、しかも、日常生活からアクセスの良い [場]であると同時に、利用者との「あいだ」(木村敏)に表現が生まれうる [場] 』ではないでしょうか。そのような[場]を私たちはこの国に育めるかどうかが主題となるように思います。既存の「治療文化」による統制などという枠に限定されない「アジール」としての芸術(療法)の可能性を問い続ける必要がありそうです。
網野善彦は「日本」とは何か(日本の歴史<00>,講談社,2000)の扉絵で、逆立ちした日本とユーラシア大陸の地図を示し、この国が大陸の西の外れの「辺境」に位置する弧状列島群の一部であることを示しました。私たちの住むこの島国は、世界文化の歴史的終着点でもあると同時にその「集約点」でもあるのです。これからは、ここから世界へ向けてメッセージを「発信」する時代を迎えていると考えることができるのではないでしょうか。養老孟司、茂木健一郎、東浩紀の鼎談で彼らは、「少子高齢化は一種の自然現象だから、素直に受け止めたらいいも悪いもないはずで、悪いと思うのは、経済中心にしか見ていないのです。(養老)」「身の丈にあった辺境の暮らしに戻るのですね。逆にそれくらいでないと、もう日本は変われないんでしょうか。(茂木)」などと述べています。(日本の歪み 養老孟司x茂木健一郎x東浩紀 講談社現代新書,2023) また、内田樹は、「日本はユーラシア大陸の東のハズレにある離島であり辺境」であり、「だからこそ見えるもの発信できることがある。」とも述べました。 (内田樹, 日本辺境論, 新潮新書, 2009)
宮崎駿が、大国の狭間に在り、風によって「腐海」の侵食からかろうじてその存在を繋いでいる「風の谷」の王女ナウシカが、大国同士の争いを諌め、その戦いを終わりに導くことを描いた(風の谷のナウシカ1-7,徳間書店,1983-1994)ように、私たちは現代の風の谷として機能することができるのではないでしょうか。それとも、これは筆者の夢想に過ぎないのでしょうか。必来の苦難の時期には、小田和正が「ひろい空よ 僕らは 今どこにいる」「頼るもの何もない あの頃へ帰りたい」と歌ったように、この国には「あの頃へ帰る」しかない明日が待っているかもしれない。その時、力になるのはあり合わせのものから新しく何かを生み出す力、つまりブリコラージュしながら生きていく力であり、私たちの「小さな物語」= 芸術(Arts)がそれを培うのではないでしょうか。今、動き出した『これからの芸術療法を考える会』の活動が、そのような活動をこの国の各地で展開し推進する方々のためのハブ(Hub)として機能していくことを心から祈ります。
「僕は この国の 明日を また想う」、「ふたりでも 漕いでゆく その力を 与えたまえ 勇気を 与えたまえ」(小田和正,1980)



